その夜の歌は妙に味
比島が陥落すればつぎは台湾である。そうなれば、南方地域からの戦争資源はほとんど運べなくなる。
日本側は、一週おくれた九月二十二日、比島決戦の作戦準備を発令した。フィリッピン第十四軍を第十四方面軍に昇格し、軍司令官に山下|奉文《ともゆき》大将を任命した。山下がマニラに着任したのは十月六日のことである。
大西の壮行会は十月九日の夜、軍需省の一室でささやかに行なわれた。灯火管制で部屋は暗く、暗幕に限られたスポットの下にビールが並んでいた。
大西は遠藤に手をさしのべていった。
「ずいぶん頑張ってみたがなあ。もう飛行機もつくっていられないので、戦場へ行くよ」
「そうか、行くか……あんたには行ってもらいたくないんだがな」
遠藤が答えた。大西が航空戦力の専門家でありながら、航空機が底をついた戦場に出かけゆくことのあわれさが胸に来た。
宴がおわって、暗い部屋から出るとき、大西は足立技術大佐の顔を見ると、足を停めた。彼は、足立が胃潰瘍で苦しんでいるとき、浅草の裏町に鍼灸術の名人がいるのを見つけてきて、足立を連れていっている。そのときも、人なつこい顔をして、大西がいった。
「これからはな、あんまり上等な飛行機はいらんから、簡単なやつをちゃっちゃっとつくっておけよ」
足立は、その後、三重県の津に航空工廠をつくり、愛知時計にはエンジン、住友機械にはプロペラ、三菱重工には機体を発注して、ほんとうにごく簡単な飛行機を試作している。これが�特攻用�を狙ったものであることはいうまでもない。
その夜、大西は帰宅すると、妻の母親に「最後のたのみになるかもしれませんが、今夜、子守唄を歌って下さい」とねだった。母親はやむをえず歌い出したが、嗚咽《おえつ》がこみ上げてきて歌にならない。中途から激しく泣き出した。
妻の淑恵が「私が歌ってあげましょうか」というと、大西は「ふん」と鼻先で笑い、「年下のものに子守唄なんか歌ってもらえるか」といった。それから「では、自分で歌うか」というと、寝床の上にドタリとひっくりかえって、※[#歌記号、unicode303d]坊やのお守りはどこへいった、を歌い出した。同じ歌を二度も三度も繰りかえしている。大西の歌は�海軍の三音痴�といわれるほどひどいもので、彼に歌い出されると、正しく歌っているものまで調子が狂ってくるという。
淑恵は、しかし、その夜の歌は妙に味わいがあったと述懐している。大西は「子守唄」を歌いおわると、こんどは「ばらの歌」をうたい出した。
小さい鉢の花ばらが
あなたの愛の露うけて
薄紅の花の色
昨日、始めて笑ったよ
節廻しはエール大学応援歌のそれである。歌いおわると、子どもにいうように「さ、もう寝ましょう。いつまでも起きていちゃいけません」とひとりごとをいい、寝巻に着かえて寝床に入ると、「うむ」と伸びをして、三秒としないうちに豪快なイビキをかきはじめた。淑恵は、まだふざけて狸寝入りをしているのかと思い、「あなた」と声をかけたが、イビキは崩れなかった。
翌朝、大西は遠藤中将に電話をかけ「これから行きます。あとをよろしく」と、それだけいった。遠藤が「ご武運を」というと「はい、ありがとう」と電話を切った。東京を発って福岡に着き、筥崎宮《はこざきぐう》で武運長久を祈って、鹿屋基地まで飛ぶ。そこで「沖縄大空襲」の無電が入った。大西は「支那大陸より発進せるB29の編隊」という電文を読むと「そんなことあるものか」といった。「これは大陸からではない。機動部隊の戦爆連合だよ」
大西のカンは当っていた。当ったのが不幸である。制空権は決定的に敵の手におちている。大西は鹿屋から上海に飛んで敵をかわし、上海で一泊すると、こんどは一気に台湾の高雄に入った。その彼の面前で、台湾沖航空戦が華やかに繰りひろげられたのは、彼が高雄から豊田副武連合艦隊司令長官のいる新竹に飛んだ直後である。
この航空戦の戦果確認のミスが「レイテ決戦」を左右しようとは、さすがの大西も気がつかなかった……。
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